14:28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
14:29 イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
14:30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。
14:31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
マタイの福音書14章28~31節
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ペテロはチャレンジャーですね。
大胆で積極的で感情的で調子乗って、調子乗り過ぎて羽目を外す。思ったことをすぐに口から出して、即行動。
でも途中でビビる。
失敗もたくさんあって、失敗がたくさんあって、たくさん戒められて、たくさん赦されて、それでたくさん愛されていることを知る。
あれ!?俺やん。それ、俺やでー。
僕も「主が共にいるから」と大胆なことをして
「あれ!?だだだだ、だ大丈夫かな!?主よ助けてください!」
って良くなります。
例えば「お金無いけど全部献金したろ!」って献金して、
「やばいお金無い!!主よ助けてください!」
と祈るとお金が与えられたことが何度もあります。
でも大胆なくせに、チキンなので、少し残しておくこともありました。
計算したらあかんよねー。委ねきれていない証拠です。
それでも哀れみで献金した倍以上の額を想像もしなかった方法ですぐに与えられた時に
「うおー!やってもうたー!全財産献金したら良かったー!」って思ったり。
もっと信仰があれば、沈みかけても
「主がいるから大丈夫。主よ貴方が助けてくださるので感謝します!」
と何の疑いも無しに告白出来るはず。
シュガーって言うボクシング漫画で
「悔しい時、泣くやつは3流。歯ぁ食いしばって耐えるやつは2流。笑え……果たしなく。そいつが1流だ」
という名言(窪塚が歌詞の中でパクってたなぁ)があるのですが。
信仰的に言うと。
「ヤバい時、祈らないやつ、自分でどうにかしようとするやつは3流。焦って助けを求めるやつは2流。
喜べ……果てしなく。そいつが1流だ」
ですね。
先取りの信仰で
「今めっちゃヤバい感じだけど、貴方が助けてくださるから、感謝します」
って何の疑いもなく感謝の祈りが出来るなら立派な信仰ですよね。
ヤバければヤバいほど、主が共にいてくださり、万軍の主であることを実感出来るチャンスです。
逆境の時こそ、真の恵みを体感する時。
本当にイエス様が言ったように「なんで疑うの?」
と、その通りですね。
この世の本当の支配者である神様の子供なのに。
ダニエル書でシャデラク、メシャク、アベデネゴがネブガデネザル王の像を拝まなかった時、王様は「燃える火の炉に投げ込むぞ」と言った時、彼らは言いました。
「もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことが出来ます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません」
ダニエル書3章17節18節
と言ったように「たといそうでなくても」信仰は変わらないんですよね。
どう転んでも、信仰というのは揺るがない。
どんな状況であれキリスト者には平安がある。
だって、どう転んでも天国だから。
どれだけヤバかろうが、助けてくれるし、
「たといそうでなくても」天国だから。
だからこそ、大胆になれる。
ペテロのようなチャレンジャーになれる。
本当に天国のことを考えて生きるなら、もはやこの世の何かのために守ることはせずに、早くイエス様が来て欲しいがために、ただひたすら天の御国の拡大のために前進し続けることが出来ます。